2013年12月24日火曜日

白浜町幼保一元化の取り組み ~白浜幼児園の視察から~

加藤俊介 

 和歌山県白浜町にある白浜幼児園を訪ねました。「幼児園」というのは制度上の名称ではありません。平成18年に「認定子ども園」制度が設立される以前から、白浜町は幼保一元化の必要性を認識し、白浜保育園と白浜第一幼稚園を統合し一体的な運営(幼児園)を開始しています。この幼保一元化の取り組みは、平成16年、小泉政権下における構造改革特区の認定を受け、制度上も認められるところとなりました。
このように、全国に先駆けて幼保一元化に取り組んだ白浜町には、幼保一元化への移行を検討する多くの人々が視察に訪れるようで、説明に工夫がされていたり、視察者向けの資料が整備されていたりと、取組みの「発信」にも力が入れられています。私は、第3回レポート「新宮市の特異な幼保関係について(2)」で次のようなことを書きました。 まさに、白浜町は先進的な取組みを成し遂げ、それを他地域にアピールしているモデルのように感じました。以下では、白浜町が幼保一元化に移行したきっかけや、成功要因など、訪問で得た内容を記します。

1.幼稚園を守るための幼保一元化

 幼保一元化を進める際に障害となるものの一つに、幼稚園の抵抗があります。現在、多くの地域では保育園が不足する一方で、幼稚園が余って(定員を大きく割って)います。その解決手段として幼保一元化をするとなると、幼稚園が保育園に吸収され、消滅してしまうように受け取られます。しかし、白浜町における幼保一元化の歩みを振り返ると、それはむしろ幼稚園を守るためのものであったことが理解できます。
 上のグラフは白浜町の児童(18歳未満)数の推移です。昭和50年の7,538人をピークに、以降は減少が続き、平成17年には3,609人となっています。驚くことに30年の間に、児童数が半減してしまったのです。この児童数の減少に加えて、共働き家庭の増加が顕著となったため、従来、「4歳までは保育所、5歳になれば幼稚園」という棲み分けを行っていたところを、昭和59年からは保育所でも5歳児の受け入れを開始することになりました。このことによって、幼稚園児数が激減し、1 園を休園、白浜地域(観光地域)と富田地域(農村地域)に各1 園の2園(共に公立)のみを存続することとなりました[1]
幼稚園の整理を行った後も、長時間の保育を希望する声が次第に高まり、白浜地域(観光地域)に立地する白浜第一幼稚園では、昭和56年度の102名の園児数が10年後の平成3年度には27名と激減し、集団規模が小さくなって活動の幅が狭まる等園運営に支障が見られるようになったとのことです。
 この流れは新宮市の幼保環境にも似た点があると思います。児童数の減少は全国的な共通点ですが、それに加えて「4歳までは保育所、5歳になれば幼稚園」という、いわゆる「学校の幼稚園」に行く慣習が失われ、5歳児になっても保育園に残る児童が年々増加
している点です。この傾向は第二回レポート「新宮市の特異な幼保関係について(1)」で確認しましたが、新宮市において5歳児で保育所に残る児童は今後さらに増加していくと予想します。その理由は、3年制幼稚園導入の答申を行った幼保一元化検討委員会は、幼稚園が小学校に隣接し「学校の幼稚園」という特異な存在になっていることを問題と捉え、幼稚園を学校の敷地から出す方法での3年制幼稚園(丹鶴幼稚園)を目指したためです。丹鶴幼稚園は「学校の幼稚園」ではありません。設立後数年は、「学校の幼稚園」というイメージは残るかもしれませんが、次第にそれは薄れていくはずです。幼保一元化検討委員会もそれを意図していました。しかし、これまで新宮市の保護者は「学校の幼稚園」に魅力を感じていたからこそ、無理にでも子どもを幼稚園に通わせていたのです。それが、「学校の幼稚園」ではなく、通常の幼稚園になれば、保育園と幼稚園の選択の基準は純粋に働いているか、そうでないかになります。そうなれば、まさに全国的に生じているように「保育園が不足する一方で、幼稚園が余る(定員を大きく割る)」状況がより顕著に生じてくるのではないでしょうか。白浜町ではそれが起きたために、その対策として幼保一元化に舵を切ったのです。
 話を白浜町に戻します。白浜町では幼稚園児童は激減しましたが、ニーズが無くなったわけではありませんでした。幼稚園を閉園してしまえば、一日の保育は不要だけれど、短時間だけ子どもを通わせたいというニーズに応えることができなくなってしまいます。また、当時の白浜町には、保育が親に対する「サービス」だけとなってはならない、親の子育ての手助けをする意味での幼稚園機能は継続するべきとの考えがあったようです。しかし、児童の減少により、現状では幼稚園の運営に支障が生じている。そんな状況が白浜町にはありました。幼稚園は守りたいけど、現状の運営には問題がある、この苦悩が幼保一元化に発展していくのです。「幼保一元化あるいは、幼稚園廃園か」という危機感があったと捉えることもできます。

[1] 和歌山県情報館「和歌山県の特区一覧表」 http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020100/tokku/pdf/tokku/youji.pdf


2.幼保一元化の歩み

 白浜町長の諮問機関として設置された幼児教育研究委員会が2年間の協議を重ねた結果、昭和63年に次のような考えを柱とする答申を出しています。
 この提言により、白浜町における幼保一元化が進み始めます。まず、平成7年度に幼保についての行政窓口を一本化し、幼児対策室を設置。ここでは、町内の保育園、幼稚園の事務を一括して担当します。室員は首長部局と教育委員会の双方の兼務辞令となっていました。同年、園長会も統合されています。平成8年は、幼保の枠を超えた職員配置(保育士が幼稚園教諭に、幼稚園長が保育園長に等)を開始しました。平成9年には、道を隔てた白浜第一幼稚園と白浜保育園を「白浜幼児園」として一体的な運営を開始します。これは、児童数が減少する中、幼保別々に運営していては確保できない集団規模を交流保育を通して確保しようという発想です。特に幼稚園児童の集団生活、異年齢交流の機会の拡充によって、一人一人の子どもが発達段階に応じた体験が得られるよう配慮したものになっています。
平成13年には現在の合築施設が完成。保育所児(長時間部)と幼稚園児(短時間部)を一つのクラスとして編成した合同保育を行うことにより、親の就労状況が変わっても子どもの環境(クラス、友達関係、担任)が変わることなく保育時間の変更が可能となりました。幼児にとって負担の少ない対応が可能となり、情緒面での安定に大きな意義があるとのことです[2]。このような取組みが冒頭で述べた構造改革特区として認められ、全国的に認知されるようになりました。なお、平成24年には富田地域(農村地域)にある富田幼稚園が同地域のしらとり保育園と統合し、とんだ幼児園となりました。これにより白浜町の幼稚園はすべて、幼保が統合された施設での運営となっています。
少しわかりにくいのですが、白浜町では認定こども園という枠組みではなく、あくまで幼保を統合した施設という形態で運営されています。ですから、看板は「幼児園」という統合名称ですが、制度上は幼稚園と保育園はそれぞれ存在しており、同じ施設(同じ部屋)で運営がされているという理解です。認定こども園に移行しないのですか、と尋ねたところ、特に現状では必要性を感じていないとのことでした。確かに、白浜町にしてみれば幼児園を先に作り、後から認定こども園ができたわけで、名より実をとっているということでしょう。

[2]和歌山県情報館「和歌山県の特区一覧表」、同上


3.幼保一元化の困難

 幼稚園が生き残るには、幼保の統合しかなかったわけですが、反対する人を説得するのには相当の苦労があったようです。やはり、人事に関すること、それから保育時間、乳児対応、夏休みなどの違いから、なかなか理解が得られない。職員同士でも夜中まで侃々諤々の議論がなされたとのことです。そのような困難を突破できたのは、当時の助役のリーダーシップも大きかったと言います。まずは、行政の窓口一本化が重要だと考え、助役直属の幼児対策室を設置した。白浜町の取り組みを紹介した著書にも「『幼児対策室』を設置し行政の一元化を図ったことで、保育現場に強力な指導性を発揮できたと考えられる。答申後7年間は具体化しなかった一元化が、対策室の設置で急速に進んだのである。」と記述されています[3]。その後、幼稚園と保育園の人事交流や研修組織の統合など努力を重ねながら、徐々に幼保の違いを埋めて施設統合に辿りついたのです。

4.幼保一元化の効果(白浜町行政視察資料より抜粋)

 幼保一元化前の課題として、保育時間の異なる子ども(短時間・長時間)が同じ施設で生活することで、子どもへの悪影響が懸念されていたようですが、実際に統合されてみると、そのことを子どもはほとんど気に掛けておらず、当初はなぜそんなことを問題にしていたのだろう、という感覚だそうです。確かに、考えてみれば現在の保育園でさえ、延長保育が実施され、早く帰る子と遅く帰る子がいるのです。その他、生じている課題としては、国の幼保一元化の制度が追い付いていない部分があり、特に会計等を保育園部、幼稚園部で別々に計上しなければならないという煩雑さがあるようです。これら制度上統一できていない部分は、幼保一元化を進めている子ども子育て会議の検討結果の中で解消されていくと思われます。

[3]森田明美(2000)『幼稚園が変わる 保育所が変わる』明石書店、76頁。

5.おわりに

白浜町でお話を聞いて、白浜町は幼保一元化で注目されていますが、その取り組みはほんの一部分であり、全体として子育てに対する意識が高いと感じました。例えば、保健センターとの連携により発行する健康面での情報誌「保健だより」を携えて、130軒の未就園児の家庭を訪問し様子を伺いながら、子育ての相談等を受ける「地域訪問」等の事業を実施するなど、潜在的なニーズに応えようとの取組みもあります。自治体は、他地域の良い取組みを互いに取り入れながら、積極的に住民に選ばれる環境づくりに努めるべきだと感じました。


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